まちづくりから、森と水へ
尾崎 康隆
Ozaki Yasutaka
事務局長
みなさん、こんにちは。
今回は、一般財団法人もりとみず基金の事務局長、尾﨑康隆さんにお話を聞きました。
「そもそも、なんでもりとみず基金をつくったのか?」
「“もりとみず”という名前はどうやって生まれたのか?」
もりとみず基金が生まれるまでの歩みを、基金を立ち上げた尾﨑さんに伺いました。
幼少期、森とはあまり縁がなかった?
尾﨑さんは、生まれも育ちも高知ですよね?
そうですね。生まれも育ちも高知ですね。元々は百石町っていう高知市内です。小学校4年生まで高知市の中心部で、5年生から長浜っていう海の方に引っ越して。中学校から高知市中心部の学校に進学したので、中学校以降はまた街の真ん中に通ってた感じですね。
山とか森が近くにあったんですか?
ない。
じゃあ、山への思い入れとかは?
ないね(笑)。
意外ですね(笑)。山で遊んだ思い出もあまりないですか?
山遊びというか、イタドリを取ったり、野いちご摘んだりみたいなのはあったけど、30年前とかやき、その当時の子どもは山におらんくても普通にしよったし。
うちの元々の里はいの町なんで、父親が親戚のところの畑を借りて野菜つくりよったき、週末について行ったりはしてた。山登りよりは、海に連れて行ってもらったり、川でゴリをついたり、海でモリ持って潜ったり。そういうのは普通にあったぐらいの世代やね。
今からすると、その「普通」のレベルが高い気がします。
それはそうやと思う。やっぱその当時の子どもって、遊ぶっていったら外で遊ぶ世代やったきね。
一方で、お父さんがシステムエンジニアだったこともあり、家には早い時期からパソコンがあったそうです。
割とちっちゃい時からMS-DOSっていう、すごい古いパソコンが家にあったりして。Windows95が出た時にデスクトップのパソコンを買ってきたのも今でも覚えちゅう。インターネットとか使い出したのも、家としてはすごい早かったと思う。

なんで、もりとみず基金をつくったの?
一番聞きたかったんですけど、なんで「もりとみず基金」をつくったんですか?
自分の立場で言うと、その当時SDGsの推進を担当しちょって。町長が持続可能なまちづくりをしたいということで、「持続可能なまちづくり」を軸にした総合計画をつくって、そこに位置付けした取組を推進するっていうことをやりよった時期があって。
当時は教育や関係人口づくり、都市部の企業との連携など、さまざまな施策に取り組んでいました。
そういう取り組みをしながら、どんなことを考えていましたか?
それはそれでやるとしても、この場所が持っている課題みたいなことに届ききらんよな、とは思いよったんよね。
どれだけ企業さんを連れてきたところで、90%を占める山のこととか、農業とかって課題が大きいし、足元でどんどん難しくなっていく。そこを地域の人だけでどうにかしようっていうのも、実際すごく難しい。
その時点で、森林に取り組もうと思っていたんですか?
いや、林業みたいなことに関しては、むしろ関心薄いというか、「難しいやん」っていう気持ちの方が強かった。自分がやることとは思ってなかった。
やっぱり地域の中だけでどうにかするのは難しいっていう話なんよね。住宅着工数は減少して木材需要も上がっていかない。地域の内需だけで、この山全部を回すのは無理やんって。だから、ずっと手出してなかったんよね。
SDGsから見えてきた「川上と川下」
そこから、どうやって森や水に繋がっていったんですか?
SDGsっていう言葉自体は、好きか嫌いかって言われたら、俺はあんまり好きじゃないんやけど(笑)。でも、そこに含まれている考え方には、これは大事やなって思ったことがいくつかあって。
その一つが「バックキャスティング」でした。
先に北極星を決めて、逆算でやることを考えていきましょうっていう考え方。今の状態から積み上げて考えていくと、基本的に未来はないじゃんって話になる。だったら、ありたい姿を見つけて、そこにどうやったら行けるかを試行錯誤した方がいい。そこはすごく影響を受けました。
もう一つ大きかったのが、地域同士が支え合うという考え方。
都市部と、自然が多い地域みたいなところが、相互に補うような形で循環していく。それは、当時自分が地方行政の立場で持っちょった課題感ともすごくつながったんよね。
日本も東京集中、都市集中していって、資源も何もかもがそこに集約されていく。地方部がずっとそれ頼りでやっていくのも違う気がするし、もう一回ちゃんと関係性から見直してみようと思ったんです。

早明浦ダムがある地域だからこそ
そこで「水」が出てきた?
その軸で見た時に、土佐町とか嶺北の立地って、すごく面白い。ダムがあって、そのダムは都市部の水利用のために作られた側面もある。香川県が発展した背景にも、その水がある。
じゃあ、水源地域側のエリアとして、それをまちづくりの力にも活かしていくことができないかなって、うっすら考えよったんです。
そこから、水循環の解析にも取り組むようになります。
水と紐付いちゅう山みたいなものを、もう一回見直してみようって考えて、水循環の解析を実施することになったんです。
実際やってみると、明確に山と水利用は紐付いちゅうなっていうのが見えてくる。じゃあ水をどうするかって川下も含めて考えた時に、荒廃していく森林をどうにか整備していかないといけない。そこが見えてきたんです。
それが、もりとみず基金につながる?
そこをきちんと川下と手を結んでアプローチすることができたら、地域にとって大事な林業とか、そういう産業にも繋げていける可能性がある。
都市部とも連携しながら、お互いのリソースを出し合うことができる可能性もある。それをちゃんと形にしたいなってやり始めたのが、もともとの「もりとみず基金」の構想です。
自分の立場としては、あくまで町がSDGsとか持続可能なまちづくりをやっていくアプローチの一つとして、もりとみず基金をつくった、という感じですかね。
「大変やったことしかない」
実際に基金をつくる上で、大変だったことは?
大変やったことしかないけど(笑)。
違うことを考えている人に、それぞれ入ってもらって法人を立ち上げないかんから。一つの組織だけで作るんやったらそれほど難しくないけど、複数の主体が関わると、それぞれ納得してもらわないかん。特に行政からお金を出してもらうとなると、議会もあるし、首長だけOKならいいってもんでもない。
それぞれ何を求められているかを聞いて、それに答えられるような立て付けを、一つ一つ作っていく。設立まで丸2年ぐらいかかりました。
構想からだと、もっと長いんですよね?
土佐町としての話だけやったら、さらに長くて丸4年。SDGsをやりだして、水の調査とかを2年ぐらいやって、高松市さんとかに話を持っていって、そこからさらに2年。大変でした(笑)。

なんで「もりとみず」なの?
「もりとみず基金」っていう名前は、どうやって決まったんですか?
なんか、ポンポンと決まった。いい名前やろ(笑)。
法人の定款を作るタイミングになり、名前を決める必要が出てきました。
直感として、漢字は使いたくないなっていうのがあったんよ。
どうして柔らかい名前にしたかったんですか?
山とか水とかっていうところで、できるだけ柔らかいイメージにしたかった。もともと一般の人を巻き込んでいくとか、市民からの寄附みたいなことも思っちょったき、やっぱり柔らかい言葉がいいなって。たまたま「森」と「水」って並べたら、割としっくりきて。
そこで「これだ」と?
個人的には、そこでパッと「これで行くしかないんじゃない?」って思った感じやった気がする。
「と」は、つなげるための言葉
「もりとみず」の「と」にも意味があるんですか?
なんか、つなげるみたいなところをすごく思いよったき。「何と何」みたいな。
「土佐町やまとしごと協同組合」とかもそうやけど、“と”っていうところに、どっちかっていうと循環とか、そういう意味合いを託しちゅうわけやけど。
「森」と「水」。
「川上」と「川下」。
それぞれを別々に考えるのではなく、「と」でつないでいく。
その考え方は、基金の名前だけでなく、尾﨑さんがこれまで関わってきた地域づくりにも共通しています。
名前をつけるのも、大事な仕事なんですね。
そこが結構難しいし、けど大事な仕事でもあるよね。魂入れる作業でもあるしね。